主宰者の思い
私がなぜ、このビジネスマップを通じてアマチュア起業家をなくしたいと考えているのか?
女性起業家支援プロジェクト「なごやなでしこ」主宰の勝野弘志です。
私がこのプロジェクトを立ち上げた思いを自らの生い立ち・経歴を交えて少しお話します。
公認会計士の道を目指した理由
私は 昭和43年に岐阜県で生まれました。
両親と妹・弟の5人家族。
のんびりとした田舎で
ほんとうにのびのびと育ちました。
父は会社員、
大型免許をもっていたこともあって
結構いいサラリーをもらっていた様子。
しかし、
私が小学校2年生くらいのときに
副業として印刷業を自宅でやり始めました。
なぜかというと、知的障害を持つ弟に
手に職をつけてやりたい、と考えたからです。
昼は会社員、夜と土日は自宅で印刷業
そんな働きづめの父親とそれをサポートする母親、
そんな両親をみて私たちは育ってきました。
当時、一戸建てを構えたばかりの我が家
そんなときに印刷機械等も購入し、
きっと資金繰りも大変だったでしょう。
しかし、
そんなことはすこしも顔に出すことなく
両親は働いておりました。
その後、父は脱サラし、印刷業一本で勝負します。
母は別に喫茶店を開業しました。
しかし、世の中は甘くはありません。
徐々に生活も苦しくなってきます。
借金もなかなか減りません。
夫婦喧嘩も多くなってきます。
家族の雰囲気も悪くなってきます。
でも、私たち子どもにはどうしようもありませんでした。
そんななかでも両親は
私を大学まで行かせてくれました。
しかし、大学2年のとき、
とうとう我が家は自宅を手放すことになります。
両親が自営業であったこと、そして
その事業が成功しなかったことは、
私がその後公認会計士の道へとすすむ
ひとつの理由であったと思います。
両親は、家計が苦しいことなど、
一言も私たち子どもには言いませんでした。
子どもたちに心配をかけたくなかったのでしょう、でも、
いくら幼かったとはいえ、
私は本当のことを言って欲しかった。
今でもそう思っています。
父はとても勤勉で
仕事もまじめに取り組む人です。
この人なら仕事をまかせても大丈夫、
周りからそういうふうにみられる人です。
母は社交的でオープンな性格、
友達が多い人です。
よく相談相手にもなっていたようです。
ですから、
両親がそれぞれ携わっていた仕事は、
本人たちにとても向いている職業だと
今から思うとそう感じます。
その天職ともいえる仕事で
両親それぞれ本当に
一生懸命働いていました。
でも事業は失敗した。
『一生懸命やっても
事業が成功するとは限らない
それはなぜか?』
これが私の仕事の永遠のテーマとなり、
わたしはそれをずっと捜し求めてきていたのです。
そして、
この道に入って20年が経った今、
ひとつの結論に達しました。
これからの時代、
事業を続けていくうえで重要なことは、
- なぜその事業をあなたがやっているのか、という理念
- なぜその事業が利益を上げることができるのか、という戦略
- 変化の激しい時代に適応するためのPDCAサイクル
という3つの要素。
どれが欠けてもいけません。これらがバランスよく組み合わさって初めて事業は続くのです。
そして、この3つのバランスを整えるためのノウハウが『ビジネスマップ』なのです。
今の私があるのは、
生活が苦しくても私を
大学まで行かせてくれ、
就職浪人まで認めてくれた
両親・家族のおかけです。
その恩をどうやって返していくのか。
答えはひとつ。
このノウハウを、
1人でも多くの悩める起業家に
伝えていくこと・・・なのです。
経歴
- 平成06年10月 公認会計士試験第2次試験合格
- 平成06年10月 名古屋市内の大手監査法人に就職
- 平成10年04月 公認会計士登録
- 平成10年07月 三重県桑名市の監査法人に転職
- 平成10年09月 税理士登録
- 平成19年07月 独立開業
- 平成28年05月 税理士法人士魂商才設立